概要
映画『追想』(原題:Anastasia)は、1956年にアメリカで製作され、日本では1957年に公開された歴史ロマンスの傑作です。
ロシア革命で処刑されたはずのロマノフ王朝の末娘、アナスタシア皇女の生存伝説をベースに、彼女を仕立て上げようとする詐欺師と記憶喪失のヒロインの数奇な運命を描いています。
主演を務めたイングリッド・バーグマンは、不倫スキャンダルによるハリウッド追放から7年ぶりの復帰作となる本作で、見事2度目のアカデミー賞主演女優賞を獲得しました。
共演には『王様と私』で絶頂期にあったユル・ブリンナーや、アメリカ演劇界の「ファースト・レディ」と称された名女優ヘレン・ヘイズが名を連ねています。
監督はアナトール・リトヴァクが務め、パリやコペンハーゲンを舞台にした絢爛豪華なヨーロッパの雰囲気が話題を呼びました。
実在した「アンナ・アンダーソン」の事件をモチーフにしながら、サスペンスと大人の洗練されたロマンスを見事に融合させた本作は、今なお多くの映画ファンを魅了し続けています。
本記事では、この数奇な運命の物語について、あらすじや見どころ、そしてイングリッド・バーグマンの復活劇の裏側に至るまで、徹底的に深掘りして解説していきます。
予告編
詳細(徹底解説)
あらすじと世界観
舞台は1928年のフランス・パリです。
1917年のロシア革命により、エカテリンブルクのイパチェフ館で悲劇的な最期を遂げたロシア帝国ロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世とその一家ですが、末娘のアナスタシア皇女だけは密かに難を逃れてヨーロッパのどこかで生き延びているという噂が、まことしやかに囁かれていました。
この生存伝説に目をつけたのが、イギリスの銀行に預けられたまま凍結されている1000万ポンドもの莫大なロマノフ家の遺産です。
かつてロシア帝国の将軍であった白系ロシア人のボーニンは、仲間のチェルノフらと共に「偽のアナスタシア」を仕立て上げ、遺産を横取りする大胆な詐欺計画を企てます。
ある夜、ボーニンはセーヌ川のほとりで投身自殺を図ろうとしていた、ひどく衰弱した記憶喪失の女性アンナ・コレフを救い出します。
彼女の顔立ちや骨格がかつてのアナスタシア皇女に驚くほど酷似していたことから、ボーニンは彼女こそが計画の要になると確信し、皇女としての徹底的な教育を施していくのです。
皇帝一家の歴史、宮廷での礼儀作法、関係者の名前など、膨大な情報を詰め込まれていくアンナですが、やがて彼女は単なる詰め込み教育では説明のつかない、皇帝一家しか知り得ないような微細な記憶の断片を時折口にするようになります。
彼女は本当に奇跡的に生き延びた本物のアナスタシア皇女なのか、それとも過酷な運命と暗示によって作り上げられた哀れな狂女なのか。
金のために彼女を冷徹に利用しようとしていたボーニンと、失われた自分自身の本当の姿を取り戻そうと苦悩するアンナの間に、いつしか単なる共犯関係を超えた激しい愛が芽生えていきます。
虚実が入り混じるサスペンスフルな展開と、大人の洗練されたメロドラマが見事に交差する、本作ならではの唯一無二の世界観が広がっています。
皇太后との対決と結末(物語の展開)
本作の物語における最大のハイライトであり、アンナが本物のアナスタシアであると証明するための最後の関門となるのが、デンマークのコペンハーゲンに亡命して隠遁生活を送る皇太后マリア・フョードロヴナとの面会です。
皇太后はアナスタシアの祖母にあたり、これまでも遺産目当てで現れた幾人もの「自称アナスタシア」と面会し、その度に残酷な嘘に失望させられ続けてきました。
そのため、ボーニンが連れてきたアンナに対しても、最初は「また詐欺師が現れた」と冷酷なまでに心を閉ざし、激しい言葉で拒絶します。
しかし、アンナが感情を昂ぶらせた際に無意識のうちに見せた、「咳払いをする時に手で口を覆う」という一族特有の小さな癖や、祖母と孫娘の二人しか知らないはずの過去の思い出話に触れた瞬間、事態は急転します。
皇太后の頑なだった心はついに崩れ去り、涙ながらにアンナを「私のアナスタシア」と呼び、二人は固く抱きしめ合うのです。
この息を呑むような感動的なシーンを経て、アンナは正式にアナスタシア皇女として世界的に認められ、かつての婚約者であるポール公との盛大な結婚披露パーティーが開かれることになります。
しかし、記憶と身分を取り戻したアンナが本当に求めていたのは、煌びやかな皇族としての地位でも、莫大な遺産でもなく、一人の人間としての真実の「愛」でした。
一方のボーニンもまた、彼女への愛を確信し、長年追い求めた遺産から手を引くことを密かに決意します。
披露宴の当日、世界中の貴族や名士が集まる中、主役であるアンナとボーニンの姿はどこにもありませんでした。
二人が愛を選んで駆け落ちしたことを悟った皇太后が、ポール公や招待客に向けて放った「芝居は終わりました、皆様お帰りください」という名ゼリフ。
この潔くも愛情に満ちた言葉は、愛の逃避行を選んだ二人への最高の祝福であり、映画史に残る美しく余韻の残る結末として今も語り継がれています。
特筆すべき見どころ
本作の最大の見どころは、何と言っても主演イングリッド・バーグマンの神がかった圧倒的な演技力です。
物語の序盤では、記憶を失い、怯えきってボロボロの浮浪者のようだったアンナが、ボーニンの教育と自身の内面からの覚醒を通じて、徐々に気高く美しい「皇女」へと変貌していくグラデーションの演技は圧巻の一言に尽きます。
単なるシンデレラストーリーではなく、彼女の瞳に宿る深い孤独や、ふとした瞬間にフラッシュバックする恐怖の描写が、キャラクターに重層的な奥行きを与えています。
また、アメリカ演劇界の重鎮であるヘレン・ヘイズ演じる皇太后との緊迫した対峙シーンは、映画史に残る名優同士の火花散るような演技合戦であり、観る者をスクリーンに釘付けにします。
映像面でも、ハリウッド黄金期ならではの贅を尽くした衣装や、パリやコペンハーゲンの美しい街並み、豪華絢爛な宮廷を模した美術セットが見事です。
当時最新鋭だったシネマスコープの横長の大画面を活かした重厚な映像美は、観客を1920年代のヨーロッパへとタイムスリップさせてくれます。
さらに、名作曲家アルフレッド・ニューマンによる優雅でメランコリックな主題歌「アナスタシア」も、映画のロマンチックな雰囲気を最大限に引き立て、観客の涙を誘います。
制作秘話・トリビア
本作を語る上で絶対に欠かせないのが、イングリッド・バーグマンの「ハリウッドへの奇跡の復帰」というドラマティックな舞台裏です。
バーグマンは1949年、イタリアの巨匠ロベルト・ロッセリーニ監督との不倫スキャンダルにより、当時の保守的なアメリカ社会から「堕落した女」として激しい非難を浴び、アメリカ上院議会で糾弾されるほどの大バッシングを受けてハリウッドから追放状態になっていました。
しかし、それから7年の歳月が流れた後、本作のプロデューサーであったバディ・アドラーと監督のアナトール・リトヴァクが、彼女の類まれなる才能を信じて本作の主演に大抜擢したのです。
結果として、バーグマンの演技は世界中で絶賛され、彼女は本作で2度目となるアカデミー賞主演女優賞を受賞し、ニューヨーク映画批評家協会賞も獲得するなど、完全かつ劇的な大復活を遂げました。
また、本作のストーリーのベースとなったのは、当時実際に「自分はアナスタシア皇女である」と名乗り出て、ドイツの法廷などで世界的な論争を巻き起こしていた実在の女性、アンナ・アンダーソンです。
(※後年の1990年代以降の精巧なDNA鑑定により、アンナ・アンダーソンはポーランドの農家の出身であり、ロマノフ家の血を引いていないことが科学的に証明されています。しかし、本作が製作された1950年代においては、彼女の正体は世界最大のミステリーの一つとして世間の耳目を集めていました。)
実在のミステリーと、スキャンダルを乗り越えた大女優の復活という現実のドラマが見事にリンクし、映画そのものがひとつの大きな伝説となったのです。
キャストとキャラクター紹介
- アンナ・コレフ(アナスタシア): イングリッド・バーグマン (Ingrid Bergman)
セーヌ川で投身自殺を図ろうとしていた記憶喪失の女性です。
ボーニンに見出され、皇女アナスタシアとしての教育を受けるうちに、気品と威厳を取り戻していきます。
自分自身の本当のアイデンティティを求め続ける切実な姿と、愛に目覚めていく女性の強さを併せ持つ魅力的なキャラクターです。 - ボーニン将軍: ユル・ブリンナー (Yul Brynner)
元ロシア帝国軍の将軍であり、現在はパリでキャバレーを経営しながら詐欺を企てている野心家です。
莫大な遺産を手に入れるために冷徹にアンナを利用しようとしますが、彼女の持つ不思議な魅力と純粋さに触れるうちに、次第に惹かれていき、最後には金よりも愛を選び取ります。 - マリア・フョードロヴナ皇太后: ヘレン・ヘイズ (Helen Hayes)
ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世の母親であり、アナスタシアの祖母にあたる人物です。
コペンハーゲンで亡命生活を送っており、過去に幾度も偽者の孫娘に騙されてきたため、アンナに対しても厳しい疑いの目を向けます。
しかし、孫娘への深い愛情と悲しみを心の奥底に隠し持つ、非常に威厳と人間味にあふれた存在です。 - チェルノフ: アキム・タミロフ (Akim Tamiroff)
ボーニンの仲間であり、遺産詐欺計画に加担する白系ロシア人の一人です。
コミカルな立ち回りを見せつつも、計画の破綻を恐れる小心者な一面を持ち、物語にユーモアのスパイスを加えています。
キャストの代表作品と経歴
主演のイングリッド・バーグマンは、『カサブランカ』(1942年)や『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)などでハリウッドの頂点に立った伝説の女優です。
『ガス燈』(1944年)で初のアカデミー賞主演女優賞を獲得し、本作で2度目、さらに後年の『オリエント急行殺人事件』(1974年)で助演女優賞を獲得するという偉業を成し遂げています。
ユル・ブリンナーにとって、本作が公開された1956年はまさにキャリアの絶頂期でした。
同じ年に『王様と私』(アカデミー賞主演男優賞受賞)や『十戒』という映画史に残る大作に立て続けに出演し、エキゾチックな魅力と圧倒的なカリスマ性でハリウッドを席巻しました。
皇太后役のヘレン・ヘイズは、エミー賞、グラミー賞、オスカー(アカデミー賞)、トニー賞の4冠(EGOT)を達成した史上初のアメリカの俳優であり、その圧倒的な存在感で作品の格を一段と引き上げています。
まとめ(社会的評価と影響)
映画『追想』は、歴史ミステリーの面白さと極上のロマンスが見事に融合した作品として、公開当時から批評家と観客の双方から大絶賛を浴びました。
何よりも、イングリッド・バーグマンの感動的なハリウッド復帰作としての社会的インパクトは絶大であり、映画史に残る歴史的瞬間として記録されています。
Rotten TomatoesやIMDbなどのレビューサイトでも高いスコアを維持しており、クラシック映画のファンから現在も熱烈に愛され続けています。
また、本作で描かれた「記憶喪失の女性がプリンセスとして覚醒していく」というモチーフは、後の1997年に製作された同テーマのアニメーション映画『アナスタシア』など、多くの作品に多大な影響を与えました。
真実よりも愛を選ぶというロマンチシズムの極致を描いた本作の結末は、時代を超えて人々の心を打ち続けています。
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イングリッド・バーグマンの息を呑むような美しさと、アカデミー賞を受賞した圧倒的な演技を高画質で堪能できるディスク版は、映画ファン必携のアイテムです。 - オリジナル・サウンドトラック(作曲:アルフレッド・ニューマン)
哀愁を帯びた主題歌や、ロシアの民族音楽を取り入れた壮大なオーケストラ曲が収録されており、映画のロマンチックな余韻に浸ることができます。 - 関連書籍(ロマノフ王朝やアンナ・アンダーソンに関する歴史書)
本作のベースとなったロシア革命の悲劇や、アンナ・アンダーソンのミステリーに関する書籍を読むことで、映画の背景にある歴史の重みをより深く理解することができます。
