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時空の文化的特異点:『ドクター・フー』の歴史的変遷、社会的影響、および世界的SF言説への波及に関する包括的調査報告書

SF
この記事は約33分で読めます。
  1. 1. 序論:現代神話としての構造と持続性
    1. 1.1 文化的現象としての位置づけ
    2. 1.2 「再生」という発明と番組の永続性
  2. 2. クラシックシリーズの興亡(1963-1989):基礎の確立と政治的闘争
    1. 2.1 創成期と教育的使命からの逸脱
    2. 2.2 ダレク現象:戦後イギリスの集団的トラウマ
    3. 2.3 カラー化とUNITの時代(1970年代)
    4. 2.4 トム・ベイカーとゴシック・ホラーの黄金期
    5. 2.5 1980年代の衰退:局内政治とスケジュールの迷走
  3. 3. 荒野の時代(Wilderness Years 1989-2005):メディアミックスによる生存と進化
    1. 3.1 1996年テレビ映画の挑戦と失敗
    2. 3.2 ビッグ・フィニッシュ(Big Finish)と拡張ユニバースの正史化
  4. 4. 新シリーズの復活と現代化(2005-現在):ラッセル・T・デイヴィス革命
    1. 4.1 2005年復活の衝撃:ソープオペラ的リアリズムの導入
    2. 4.2 モファット時代と国際的展開
    3. 4.3 チブナル時代と「時を超越した子供」論争
  5. 5. グローバル・ストリーミング時代の到来(2023-現在)
    1. 5.1 ディズニー+との提携と予算革命
    2. 5.2 ンクーティ・ガトワと新しいドクター像
    3. 5.3 制作体制の未来と不安
  6. 6. イギリス文化への深層的影響:恐怖と創造の源泉
    1. 6.1 「ソファーの裏に隠れる」という国民的記憶
    2. 6.2 社会的メタファーとしてのモンスターたち
    3. 6.3 電子音楽の母、デリア・ダービーシャー
  7. 7. 世界SFと言説への波及:『ドクター・フー』のミーム的拡散
    1. 7.1 ダグラス・アダムスとSFコメディの系譜
    2. 7.2 ハリウッドへの影響:『ビルとテッド』の電話ボックス
    3. 7.3 日本文化との共振:アニメ・マンガへの影響
      1. 7.3.1 『シュタインズ・ゲート』と時間旅行のロジック
      2. 7.3.2 『ドラえもん』とタイムパトロール
      3. 7.3.3 クリエイターたちの反応
      4. 7.3.4 特異なカメオ:『キングコング』の「ドクター・フー」
      5. 7.3.5 日本での展開と受容
  8. 8. 結論:終わらない物語の未来
  9. 補遺:データで見るドクター・フー
    1. 表1:歴代ドクターと在任期間(公式テレビシリーズ)
    2. 表2:主なスピンオフ作品とメディア展開
    3. 参考文献
    4. 共有:

1. 序論:現代神話としての構造と持続性

1.1 文化的現象としての位置づけ

1963年11月23日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の翌日という歴史的な混乱の中で放送を開始したBBCの『ドクター・フー(Doctor Who)』は、単なる長寿テレビドラマの枠を超え、イギリスの国民的アイデンティティの一部を形成するに至りました。その歴史は60年以上に及び、SFというジャンルが社会の中でどのように受容され、進化してきたかを映し出す鏡のような存在です。本報告書は、この番組がいかにして「子供向けの教育番組」から「グローバルなSFフランチャイズ」へと変貌を遂げたのか、そのメカニズムを詳細に分析するものです。

1.2 「再生」という発明と番組の永続性

本作が半世紀以上もの間、鮮度を保ち続けてきた最大の要因は、「再生(Regeneration)」という物語上の発明にあります。主人公である「ドクター」は、死に瀕した際に細胞を再構成し、別の肉体と性格を持つ存在へと生まれ変わる能力を持つタイムロード(Time Lord)です。この設定は、当初は初代主演俳優ウィリアム・ハートネルの健康問題による降板という制作上の危機を回避するための苦肉の策でしたが、結果として番組に「永続的なリブート機能」を与えることとなりました。

1966年の最初の再生以来、これまでに15人以上の俳優が公式にドクターを演じています。それぞれのドクターは異なる性格、服装、倫理観を持ち、それに合わせて番組のトーンもホラー、コメディ、ハードSF、ファンタジーへと自在に変化してきました。本稿では、この「変化することによって変わらない」という逆説的な生存戦略が、いかにして番組を文化的制度へと押し上げたかを検証します。

2. クラシックシリーズの興亡(1963-1989):基礎の確立と政治的闘争

2.1 創成期と教育的使命からの逸脱

『ドクター・フー』は当初、歴史教育と科学教育を融合させた児童向け番組として構想されました。ドクターがコンパニオン(旅の仲間)と共に過去へ行き歴史的事件を体験する「歴史劇」と、未来や宇宙で科学的概念を学ぶ「SF劇」が交互に放送される予定でした。しかし、この高尚な理想は、第2の物語「The Daleks」におけるダレクの登場によって劇的に覆されることとなります。

2.2 ダレク現象:戦後イギリスの集団的トラウマ

テリー・ネイションによって創造され、レイモンド・キューシックによってデザインされた「ダレク(Dalek)」は、番組を国民的ヒットへと押し上げた最大の功労者です。胡椒入れのような滑稽な外見とは裏腹に、彼らはナチス・ドイツの排他主義、純血思想、全体主義のメタファーとして機能しました。

第二次世界大戦の記憶が生々しい1960年代のイギリスにおいて、感情を持たず「抹殺せよ(Exterminate)」と叫びながら進軍するダレクの姿は、子供たちに強烈な恐怖を与えました。これは「ダレクマニア(Dalekmania)」と呼ばれる社会現象を引き起こし、マーチャンダイジングや映画化を通じて番組の財政基盤を確立しました。ダレクの成功は、番組の方針を「教育」から「モンスターが登場する冒険活劇」へと決定的にシフトさせたのです。

2.3 カラー化とUNITの時代(1970年代)

1970年代に入ると、番組はカラー放送へと移行し、制作体制も大きく変化しました。ジョン・パートウィー演じる3代目ドクターの時代、予算削減のあおりを受けてドクターは地球に追放された設定となり、国連諜報部(UNIT)と共に地球への侵略者と戦うアクション志向のスタイルが確立されました。これにより、番組はジェームズ・ボンド的なスパイアクションとSFの融合を試み、より幅広い年齢層の視聴者を獲得することに成功しました。

2.4 トム・ベイカーとゴシック・ホラーの黄金期

4代目ドクター、トム・ベイカーの在任期間(1974-1981)は、クラシックシリーズにおける人気の頂点とされます。プロデューサーのフィリップ・ヒンチクリフとスクリプト・エディターのロバート・ホームズは、ハマー・ホラー映画の影響を受けたゴシック・ホラーの要素を大胆に導入しました。

この時期の脚本には、後に『銀河ヒッチハイク・ガイド』を著すダグラス・アダムスも参加しており、「City of Death(死の都)」などのエピソードでは、恐怖と不条理なユーモアが高度に融合された傑作が生み出されました。アダムスの参加は、番組にウィットに富んだ会話劇と、ハードSF的な概念(多重並行宇宙や時間のパラドックス)をもたらし、後のスティーヴン・モファットらの作風に直結する知的遊戯の系譜を作り上げました。

2.5 1980年代の衰退:局内政治とスケジュールの迷走

1980年代に入ると、番組は徐々に輝きを失っていきます。その背景には、BBC内部の政治的な逆風がありました。当時のBBCワンのコントローラー、マイケル・グレードは公然と番組を嫌悪しており、予算の削減や放送時間の変更を繰り返しました。

特にコリン・ベイカー演じる6代目ドクターの時代は、暴力的な描写や不安定なキャラクター造形が批判を招き、グレードによる18ヶ月の放送休止措置(1985-1986)へと繋がりました。ジョン・ネイサン=ターナー製作総指揮の下、シルベスター・マッコイ(7代目)の時代には、脚本編集のアンドリュー・カートメルによって「ドクターの正体は単なるタイムロード以上の存在である」ことを示唆する「カートメル・マスタープラン」が導入され、物語の深みを取り戻そうとする試みが見られました。

しかし、人気長寿番組『コロネーション・ストリート』の裏番組に配置されるなどの編成上の冷遇により視聴率は低下を続け、1989年、ついに番組は「無期限の放送休止」という事実上の打ち切りを迎えることとなりました。

時代 ドクター 特徴 敵対者・象徴的エピソード
1960s 1代-2代 白黒、歴史教育からSFへ ダレク、サイバーマン、再生の導入
1970s 3代-4代 カラー化、UNIT、ゴシック マスター、ダヴロス、”City of Death”
1980s 5代-7代 ハードSF、視聴率低迷、政治的圧力 ヴァレイヤード、”Remembrance of the Daleks”

3. 荒野の時代(Wilderness Years 1989-2005):メディアミックスによる生存と進化

3.1 1996年テレビ映画の挑戦と失敗

1989年の放送終了後、番組は「荒野の時代」と呼ばれる長い冬の時代に入りました。しかし、完全な沈黙期間ではなく、ファンダムとクリエイターたちの熱意により、物語は別の媒体で生き続けました。その最大の試みが、1996年にアメリカのFOXネットワーク、ユニバーサル・ピクチャーズ、BBCの共同制作で放送されたテレビ映画版『ドクター・フー』です。ポール・マッガンを8代目ドクターに起用したこの作品は、アメリカ市場でのシリーズ化を狙ったパイロット版としての性格を持っていました。

しかし、結果としてシリーズ化は実現しませんでした。その要因として以下の点が分析されています:

  • 文化的断絶: アメリカの視聴者にとって、イギリスの長寿番組の複雑な設定(ローレ)は参入障壁となりました。
  • 競合番組: 放送当夜、アメリカでは人気シットコム『ロザンヌ』の最終回直前エピソードが放送されており、視聴率競争で不利な状況にありました。
  • トーンの不一致: アメリカ的な派手な演出と、イギリス的なエセントリックさの融合が、既存ファンと新規層の双方に中途半端な印象を与えた可能性が指摘されています。

イギリスでは900万人以上の視聴者を獲得したものの、アメリカでの数字(約560万人)はFOXが期待した水準には達せず、ドクターは再び眠りにつくこととなりました。

3.2 ビッグ・フィニッシュ(Big Finish)と拡張ユニバースの正史化

テレビシリーズが不在の間、ドクター・フーの命脈を保ったのは「Big Finish Productions」によるオーディオドラマ(音声ドラマ)でした。1999年から開始されたこのシリーズは、5代目、6代目、7代目、そして8代目のオリジナル俳優を起用し、テレビでは描かれなかった新たな冒険を提供し続けました。

特にポール・マッガンの8代目ドクターは、映像作品が1本しかなかったにもかかわらず、オーディオドラマを通じてキャラクターが深掘りされ、最も人気のあるドクターの一人へと成長しました。2013年のミニエピソード「The Night of the Doctor」において、8代目ドクターがオーディオドラマのコンパニオンたちの名前を呼ぶシーンが描かれたことで、これらの派生作品は公式に「正史(Canon)」として認められることとなりました。これは、メディアミックスが本編の設定を補完・拡張した稀有な成功例です。

4. 新シリーズの復活と現代化(2005-現在):ラッセル・T・デイヴィス革命

4.1 2005年復活の衝撃:ソープオペラ的リアリズムの導入

2005年、脚本家ラッセル・T・デイヴィス(RTD)の指揮の下、『ドクター・フー』は奇跡的な復活を遂げました。RTDのアプローチは革新的でした。彼はSF的なガジェットやテクノロジーよりも、「キャラクターの感情」と「地上の生活」に焦点を当てたのです。

新しいコンパニオンであるローズ・タイラーと、その母ジャッキー、恋人ミッキーの物語は、イギリスの労働者階級の日常(団地、パブ、クリスマスの買い物)をリアルに描き出しました。ドクターの冒険は、もはや遠い宇宙の出来事ではなく、視聴者の日常と地続きの「現実」となりました。この「ソープオペラ的要素」とSFの融合により、番組は一部のオタク層だけでなく、家族全員で楽しめるエンターテインメントとしての地位を取り戻しました。

クリストファー・エクルストン(9代目)は、レザージャケットを羽織り、過去の戦争(タイム・ウォー)のトラウマを抱えたシリアスなドクター像を提示し、続くデヴィッド・テナント(10代目)は、ロマンティックでカリスマ性のある英雄像を確立し、番組の人気を不動のものとしました。

4.2 モファット時代と国際的展開

2010年、スティーヴン・モファットがショーランナーを引き継ぐと、番組はより複雑な時間構造(”Timey-wimey”)と、おとぎ話のようなファンタジー色を強めました。マット・スミス(11代目)とピーター・カパルディ(12代目)の時代、BBCアメリカでの同日放送が開始されるなど、国際的なファンベースが急速に拡大しました。特に50周年記念エピソード「The Day of the Doctor」(2013年)は世界94カ国で同時放送され、ギネス記録を樹立するほどの世界的イベントとなりました。

4.3 チブナル時代と「時を超越した子供」論争

クリス・チブナルがショーランナーを務めた期間(2018-2022)は、番組史上最も論争を呼んだ時代の一つです。ジョディ・ウィテカーが初の女性ドクター(13代目)として起用されたことは、ジェンダー表現における大きな前進として批評家から高く評価されました。視聴率的にも、彼女のデビューエピソードは近年の最高記録を更新しました。

しかし、シーズン12の最終話「The Timeless Children(時を超越した子供)」における設定改変は、ファンダムを二分する激論を巻き起こしました。このエピソードでは、ドクターが実はガリフレイ人ではなく、異次元から来た「無限の再生能力を持つ子供」であり、タイムロードの再生能力の起源そのものであることが明かされました。

この改変は以下の点で批判されました:

  • 起源の神聖化: ドクターが「箱を盗んで逃げ出したただの冒険者」から「選ばれし神のような存在」へと変質してしまった点。
  • 整合性の問題: 過去の設定(ドクターの再生回数制限など)との矛盾。
  • ガリフレイの再破壊: モファット時代に救われたはずの故郷ガリフレイが再び破壊されたことへの徒労感。

一方で、この設定はウィリアム・ハートネル以前の「知られざるドクター(Fugitive Doctorなど)」の存在を可能にし、物語の可能性を無限に広げたとも評価されています。

5. グローバル・ストリーミング時代の到来(2023-現在)

5.1 ディズニー+との提携と予算革命

2023年、ラッセル・T・デイヴィスの復帰とともに、BBCはディズニー・ブランデッド・テレビジョンとの歴史的な提携を発表しました。これにより、イギリスおよびアイルランド以外での配信権はDisney+が独占することとなり、『ドクター・フー』は真の意味でのグローバル・ストリーミング・シリーズへと進化しました。

この提携がもたらした最大の影響は、制作予算の劇的な増額です。報道によれば、1エピソードあたりの予算は約1,000万ポンド(約1,300万ドル)に達し、これは以前の予算の数倍に相当します。この潤沢な資金により、VFXのクオリティは映画並みとなり、セットや衣装の豪華さも飛躍的に向上しました。

5.2 ンクーティ・ガトワと新しいドクター像

15代目ドクターとして起用されたンクーティ・ガトワは、初の黒人クィア俳優としてのドクターであり、番組の多様性と現代性を象徴する存在です。彼のドクターは、過去の重荷から解放されたような軽やかさと、深い感情的知性を併せ持ち、Z世代以降の視聴者に強く訴求するキャラクター造形がなされています。

5.3 制作体制の未来と不安

しかし、この巨額の予算とグローバル展開は、同時に新たなリスクも孕んでいます。2024年以降、一部メディアでは「視聴率の伸び悩みにより、ディズニーが契約更新を見送る可能性がある」との報道がなされました。BBC側はこの噂を公式に否定し、2026年までの制作計画(クリスマススペシャル等)が進行中であることを強調していますが、ストリーミング業界全体のコスト削減圧力の中で、高コストなSFドラマの継続性については予断を許さない状況が続いています。

6. イギリス文化への深層的影響:恐怖と創造の源泉

6.1 「ソファーの裏に隠れる」という国民的記憶

『ドクター・フー』がイギリス文化に与えた影響の中で最も象徴的なのが、「Hiding behind the sofa(ソファーの裏に隠れる)」という慣用句の定着です。これは、恐怖を感じながらも画面から目を離せない子供たちの行動を指す言葉であり、60年代から70年代にかけての視聴体験の共通記憶となっています。

この現象は、BBCという公共放送が、家族団欒の時間帯に「安全な恐怖(Safe Scare)」を提供したことの証左です。子供たちはドクター・フーを通じて、未知なるものへの恐怖と、それを知性によって克服する勇気を学んだのです。

6.2 社会的メタファーとしてのモンスターたち

  • ダレク(Daleks): 前述の通り、ナチズムとファシズムの恐怖を具現化した存在です。彼らの徹底的な排他性は、戦中・戦後の全体主義への嫌悪感を反映しています。
  • サイバーマン(Cybermen): 科学者キット・ペドラーによって考案された彼らは、1960年代に急速に進歩した「移植医療」や「人工臓器」への根源的な恐怖を象徴しています。「人間の一部を機械に置き換えていくとき、どこまでが人間で、どこからが機械なのか?」というテセウスの船的な問いを、肉体ホラーとして描いたものです。しばしば共産主義のメタファーと誤読されますが、その本質は「感情の喪失」と「技術による人間性の侵食」にあります。

6.3 電子音楽の母、デリア・ダービーシャー

ロン・グレイナーが作曲し、BBCラディオフォニック・ワークショップのデリア・ダービーシャーが制作したオープニングテーマは、音楽史における記念碑的達成です。1963年当時、シンセサイザーはまだ実用段階になく、彼女は発振器の音やホワイトノイズをアナログテープに録音し、それを物理的に切り貼りし、速度を変えて再生するという「ミュジーク・コンクレート」の手法を用いてあの楽曲を作り上げました。

一本の弦を弾いた音を加工して作られたベースラインと、不気味な電子音のメロディは、ピンク・フロイド、ケミカル・ブラザーズ、オービタル、エイフェックス・ツインといった後のアーティストに多大な影響を与えました。デリア・ダービーシャーの功績は長らく過小評価されていましたが、現在ではイギリスの電子音楽、テクノ、アンビエントミュージックのパイオニアとして再評価されています。

7. 世界SFと言説への波及:『ドクター・フー』のミーム的拡散

7.1 ダグラス・アダムスとSFコメディの系譜

『銀河ヒッチハイク・ガイド』の著者ダグラス・アダムスが『ドクター・フー』の脚本編集を務めていた事実は、英国SFのトーンを決定づける重要な要素です。彼が担当した「City of Death」や「The Pirate Planet」に見られる、「宇宙的危機を前にした際の英国的なとぼけたユーモア」や「不条理な官僚主義的エイリアン」といった要素は、後の『ドクター・フー』だけでなく、世界中のSFコメディに影響を与えました。スティーヴン・モファットなどの現代の脚本家も、アダムスの「恐怖と笑いの同居」というスタイルを意識的に継承しています。

7.2 ハリウッドへの影響:『ビルとテッド』の電話ボックス

キアヌ・リーブス主演の映画『ビルとテッドの大冒険』(1989年)に登場する電話ボックス型のタイムマシンは、『ドクター・フー』のターディスへの直接的なオマージュであるとの見方が一般的です。脚本家たちは当初『ドクター・フー』を知らなかったと証言しています(当初はバンを使用する予定でしたが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』との類似を避けるために変更されました)が、監督の提案により電話ボックスが採用された経緯があります。これは、ターディスのイメージがいかに深く大衆文化の無意識に浸透していたかを示す事例と言えるでしょう。

7.3 日本文化との共振:アニメ・マンガへの影響

日本において『ドクター・フー』は、欧米ほどの爆発的な知名度はないものの、クリエイター層を通じて間接的かつ深層的な影響を与えています。

7.3.1 『シュタインズ・ゲート』と時間旅行のロジック

人気アドベンチャーゲームおよびアニメ『STEINS;GATE』におけるタイムトラベルの描写には、『ドクター・フー』との類似性が指摘されることが多いです。特に、ネット上の予言者ジョン・タイター(John Titor)のギミックや、世界線(Worldline)の移動に伴う記憶の保持(リーディング・シュタイナー)といった概念は、ドクター・フーにおける「固定された時間(Fixed point in time)」や「時間の書き換え」のルールと共鳴する部分が多いです。また、ドクターの持つ「エキセントリックな科学者」というアーキタイプは、主人公・岡部倫太郎のキャラクター造形にも通じるものがあります。

7.3.2 『ドラえもん』とタイムパトロール

藤子・F・不二雄の『ドラえもん』や『T・Pぼん(タイムパトロールぼん)』に登場する「タイムパトロール」は、時空犯罪を取り締まる組織として描かれています。これは、ドクター・フーに登場する「タイムロード」や、スピンオフ作品『Torchwood』のような時間監視機関のコンセプトと共通するSF的トロープです。特に、歴史改変を防ぎつつ、特定の歴史的イベントを維持しようとする態度は、タイムロードの不干渉主義(あるいは選択的干渉)と重なります。

7.3.3 クリエイターたちの反応

  • 小島秀夫: 『メタルギア』シリーズで知られる小島秀夫は、自身のTwitterで『ドクター・フー』のグッズや視聴体験について言及しており、そのSF的想像力の一部に影響を与えている可能性があります。
  • 庵野秀明: 『エヴァンゲリオン』の監督である庵野秀明は、英国の特撮作品(特にジェリー・アンダーソンの『サンダーバード』等)からの影響を公言していますが、英国SF特有のミニチュアワークやメカニックデザインの美学は、『ドクター・フー』を含む英国テレビSF全体から吸収されたものです。

7.3.4 特異なカメオ:『キングコング』の「ドクター・フー」

興味深い事例として、1966年の日米合作アニメ『キングコング(The King Kong Show)』および東宝映画『キングコングの逆襲』に登場する悪役の名前が「ドクター・フー(Dr. Who)」であることが挙げられます。このキャラクターはBBCのドクターとは無関係なマッドサイエンティスト(メカニコングの製作者)ですが、1960年代当時の世界的SFブームの中で、「ドクター・フー」という名前が一種の「謎めいた科学者」を示す記号として、日英米の境界を超えて同時多発的に(あるいは相互参照的に)使用されていたことを示す貴重な資料です。

7.3.5 日本での展開と受容

日本での『ドクター・フー』放送は断続的でした。1980年代にはポニーキャニオン等からビデオが発売され、NHK BSなどでも放送されました。特にトム・ベイカー時代の吹き替えでは、玄田哲章がドクターを演じ、サラ・ジェーン・スミスを平野文が演じるなど、豪華な声優陣が起用されていました。現在でも熱心なファンベースが存在し、フィギュアや関連書籍の市場も形成されています。

8. 結論:終わらない物語の未来

『ドクター・フー』は、60年という歳月をかけて、単なるテレビ番組から「再生可能な現代の神話」へと進化しました。その成功の核心は、主演俳優の交代を物語の核に据えることで、時代ごとの社会的不安や希望を柔軟に取り込み、常に「現在の物語」として生まれ変わり続けるシステムにあります。

ダレクがナチズムの記憶を、サイバーマンがテクノロジーへの恐怖を、そして新シリーズのドクターたちが多様性と包括性の重要さを映し出してきたように、この番組は常にイギリス、ひいては世界の文化的鏡であり続けています。

現在、ディズニーとの提携による巨大資本の流入は、番組にかつてない視覚的スペクタクルをもたらした一方で、グローバルな市場原理の中での生存競争という新たな課題を突きつけています。しかし、1989年の打ち切りから16年間の「荒野の時代」を、ファンとクリエイターの情熱(オーディオドラマ、小説、ファジン)だけで生き延びたこの作品の生命力を侮ってはなりません。

BBC幹部が明言した「ターディスはどこへも行かない」という言葉は、単なる企業の決意表明以上の重みを持ちます。ドクター・フーは、もはやいち放送局のコンテンツではなく、世代を超えて継承される文化遺伝子(ミーム)となっているからです。時空の旅人が次にどのような顔で、どのような物語を語るのか、その旅は永遠に続いていくでしょう。

補遺:データで見るドクター・フー

表1:歴代ドクターと在任期間(公式テレビシリーズ)

ドクター 俳優 在任期間 特徴的スタイル
初代 ウィリアム・ハートネル 1963-1966 厳格な祖父、エドワード朝風
2代 パトリック・トラウトン 1966-1969 「宇宙の浮浪者」、チャップリン風
3代 ジョン・パートウィー 1970-1974 アクション派、ベルベットジャケット
4代 トム・ベイカー 1974-1981 ボヘミアン、長いスカーフ、最長在任
5代 ピーター・デイヴィソン 1981-1984 クリケット選手風、若々しく脆弱
6代 コリン・ベイカー 1984-1986 極彩色のコート、傲慢で尊大
7代 シルベスター・マッコイ 1987-1989 道化師から策士へ、傘を使用
8代 ポール・マッガン 1996 ロマン派、ビクトリア朝風
9代 クリストファー・エクルストン 2005 レザージャケット、PTSD、労働者階級
10代 デヴィッド・テナント 2005-2010 スーツとスニーカー、饒舌、ロマンチスト
11代 マット・スミス 2010-2013 ツイードと蝶ネクタイ、老成した若者
12代 ピーター・カパルディ 2013-2017 ロックスター風、不機嫌なマジシャン
13代 ジョディ・ウィテカー 2017-2022 初の女性、コートとサスペンダー、希望
14代 デヴィッド・テナント 2023 10代の顔を持つ新たな人格
15代 ンクーティ・ガトワ 2023- 多彩なファッション、クィア、解放的

表2:主なスピンオフ作品とメディア展開

タイトル 媒体 対象層 概要
Torchwood TVドラマ 大人向け キャプテン・ジャックを中心とした対エイリアン組織。性的・暴力的描写あり。
The Sarah Jane Adventures TVドラマ 児童向け 旧作コンパニオン、サラ・ジェーンが子供たちと地球を守る。
Class TVドラマ YA(ヤングアダルト) コールヒル高校を舞台にした学園SF。
Big Finish Productions オーディオ ファン向け 歴代キャストによる完全新作音声ドラマ。正史として扱われる。
Dalek Empire オーディオ ファン向け ダレクを中心とした壮大な宇宙戦争叙事詩。

参考文献

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