もしも『じゃじゃ馬億万長者』のジェドが石油ではなく「温泉」を掘り当てていたら? ビバリーヒルズ移住はあったのか?
概要:「黒い黄金」が「湧き出る湯」だったら?
1960年代にアメリカで放送され、日本でも大人気となったコメディドラマ『じゃじゃ馬億万長者』(原題: The Beverly Hillbillies)。
物語は、オザーク高原の貧しい山男ジェド・クランペットが、ある日偶然「黒い黄金」(石油)を掘り当て、天文学的な額の富を手に入れ、一族郎党でビバリーヒルズの豪邸に引っ越すという、典型的なカルチャーギャップ・コメディです。
しかし、もしも、その物語の根幹をなす「石油」が、別のものだったらどうなっていたでしょうか。
もしも、ジェドが掘り当てたのが石油ではなく、日本で言うところの「温泉」だったら。
この記事では、「もしも ジェド 温泉」という「if」のシナリオを、彼らが億万長者になれたのか、そしてビバリーヒルズに移住したのか、という観点から徹底的に考察します。
詳細考察:クランペット一家の運命は
億万長者になれたのか? 石油と温泉の「富」の違い
『じゃじゃ馬億万長者』の物語が成立する大前提は、クランペット一家が「ビバリーヒルズに豪邸を構え、何もしなくても一生遊んで暮らせる」ほどの莫大な富を手に入れたことです。
彼らの富の源泉である「石油」は、掘り当てた瞬間から「利権」として巨大な価値を持ちます。
劇中でも、オカヨ石油(OK Oil Company)がその権利を買い取り、ジェドは瞬く間に(当時の金額で)数千万ドルという巨万の富を得ました。
では、「温泉」の場合はどうでしょうか。
もしジェドが猟銃で撃った地面から、熱いお湯がこんこんと湧き出たとします。
確かに「温泉が湧いた」ことは大きな発見ですが、それは石油のように「即座に莫大な現金化」ができる資源ではありません。
温泉は、それ自体が「売れる」というよりも、それを活用した「事業」によって初めて利益を生み出すものです。
例えば、温泉宿、スパリゾート、湯治場、あるいは温泉水をボトリングして販売するなど、様々なビジネス展開が考えられます。
しかし、ここでクランペット一家の性格を思い出してみましょう。
彼らは素朴で世間知らず(しかし自然の中で生きる知恵はある)、商才やビジネス感覚とは無縁の一家です。
ジェドが自らリゾート開発の青写真を描いたり、グランマ(おばあちゃん)が最新鋭のスパ経営に乗り出したりするとは、到底考えられません。
おそらく、「クランペット温泉」は地元の名所にはなるでしょうが、石油のような「億万長者」の称号をもたらすことはなかった可能性が極めて高いのです。
良くて「温泉宿の主人」、あるいは「入湯料を取る地元の名士」といったところに落ち着いたのではないでしょうか。
ビバリーヒルズ移住はあったのか?
もしジェドが(石油ではなく)温泉を掘り当てていた場合、物語のもう一つの柱である「ビバリーヒルズへの移住」はあったのでしょうか。
これもまた、可能性は低いと言わざるを得ません。
第一に、前述の通り、ビバリーヒルズの豪邸をキャッシュで購入できるほどの「莫大な富」が手元にないため、物理的に不可能です。
第二に、資産の性質が異なります。
石油利権は「現金(あるいは証券)」という流動資産に変わるため、どこに住んでいても問題ありません。
しかし、「温泉」は土地に強く結びついた「不動産」そのものです。
温泉の管理や経営(たとえそれが素朴なものであっても)をするためには、その土地、つまり故郷のオザーク高原に留まらなければなりません。
ジェド一家の「故郷の山を愛する」という性質を考えれば、わざわざ大切な温泉(土地)を捨てて、縁もゆかりもないビバリーヒルズへ行く動機が存在しないのです。
彼らがビバリーヒルズに移住したのは、あくまで「大金持ちになってしまったから、銀行家(ドライスデール氏)の勧めに従って」という受動的な理由でした。
温泉が湧いただけでは、その理由は発生しません。
もしもの「クランペット温泉 繁盛記」
では、もしジェドが温泉を掘り当てていたら、どのような物語になっていたのでしょうか。
それは「ビバリーヒルズの億万長者」ではなく、「地元の温泉宿」を舞台にした、まったく別のコメディになっていたはずです。
ジェドは「クランペット温泉」の頑固だが人のいい湯守(ゆもり)になります。
グランマは、その温泉を「万病に効く秘伝の薬湯」として仕切り、訪れる客に怪しげな薬草(自家製の密造酒?)を売っているかもしれません。
娘のエリー・メイは、温泉に浸かりに来る動物たち(タヌキ、シカ、クマ)と戯れ、温泉の看板娘として人気を集めます。
甥のジェスロは、温泉宿の退屈な番台仕事に飽足らず、「わしはいつか都会(ビバリーヒルズ)の金持ちになる!」と夢を語る、という形で元の設定へのオマージュが捧げられたかもしれません。
そして、ドラマの「カルチャーギャップ」は、「ビバリーヒルズ vs 田舎者」ではなく、「素朴なクランペット温泉 vs 都会から来た開発業者や俗物的な観光客」という構図で描かれたでしょう。
ビバリーヒルズの銀行家ドライスデール氏と秘書のジェーン・ハサウェイは、「この温泉を大規模なリゾートにしませんか」と投資話を持ちかける開発業者として登場した可能性もあります。
そしてジェドは、彼らの儲け話に対し、「わしらにはこの湯と、家族とのんびり暮らす時間があれば十分じゃ」と、いつもの素朴な哲学で返すのです。
参考動画:『じゃじゃ馬億万長者』のテーマソング
まとめ:「億万長者」になれなかったifの物語
「もしもジェドが石油ではなく温泉を掘り当てていたら」。
この「if」シナリオを考察した結果、『じゃじゃ馬億万長者』という物語の根幹(=億万長者、ビバリーヒルズ移住)は、ほぼ成立しなかっただろうという結論に至りました。
石油という「一攫千金の流動資産」だったからこそ、あの奇跡のビバリーヒルズ移住が実現したのです。
もし温泉だったら、クランペット一家は「地元でちょっと有名な温泉宿の家族」として、故郷の山で素朴ながらも幸せに暮らし続けていたことでしょう。
それはそれで心温まるコメディになったかもしれませんが、私たちが知る『じゃじゃ馬億万長者』の、あの突き抜けた「あり得なさ」と「豪華絢爛なギャップ」は生まれなかったはずです。
関連トピック
『じゃじゃ馬億万長者』 (The Beverly Hillbillies)
1960年代に一世を風靡したアメリカのシットコム。
田舎のクランペット一家が石油ブームで大金持ちになり、ビバリーヒルズで騒動を巻き起こす物語です。
カルチャーギャップ・コメディ
異なる文化的背景を持つ人々が出会うことで生じる、誤解や偏見、価値観の違いをコミカルに描くジャンル。
本作はその代表例です。
オザーク高原
クランペット一家の故郷とされる、アメリカ中南部の高原地帯。
素朴な山岳文化が残る地域として知られています。
ミルトン・ドライスデール
ビバリーヒルズの銀行の頭取。
クランペット一家の莫大な預金を目当てに、彼らに振り回されながらもご機嫌を取り続ける、準レギュラーキャラクターです。
関連資料
『じゃじゃ馬億万長者』 [DVD]
オリジナルのテレビシリーズ。
石油によって人生が激変するクランペット一家の原点を確認できます。
『ビバリー・ヒリビリーズ/じゃじゃ馬億万長者』 (1993年 映画)
テレビシリーズをリメイクした劇場版。
ジム・ヴァーニーがジェド・クランペットを演じ、より現代的なコメディとして再構築されています。
『北の国から』
もしジェドが温泉を掘り当てて地元に残った場合、日本のドラマで言えば、このような(コメディ要素は薄いですが)土地に根差した物語になっていたかもしれません。

