概要
格調高くお堅いイメージがあった「イギリスの歴史コスチューム劇」の常識を見事に打ち破り、映画史に革命を起こした大傑作コメディが、1963年公開の映画『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(原題:Tom Jones)です。
本作は、18世紀のイギリス文学を代表するヘンリー・フィールディングの古典的ピカレスク小説(悪漢小説)を原作とし、イギリスの「フリー・シネマ(怒れる若者たち)」運動の旗手であったトニー・リチャードソン監督がメガホンを取りました。
脚本を手掛けたのは、劇作家として名高いジョン・オズボーンであり、この二人がタッグを組んだことで、古典小説が1960年代のポップでエネルギッシュな感覚で見事に蘇りました。
主人公は、捨て子として拾われながらも、底抜けに明るく、女性にだらしなく、しかし誰よりも純粋で心優しい青年トム・ジョーンズ。
彼がイギリスの田舎町から大都会ロンドンへと渡り、数々の美女と浮名を流しながら大騒動を巻き起こす波乱万丈の旅が、スピーディーかつコミカルに描かれています。
第36回アカデミー賞では、コメディ映画としては異例とも言える「作品賞」を獲得したほか、監督賞、脚色賞、作曲賞の計4部門を制覇するという大勝利を収めました。
また、一つの映画から助演女優賞に3人(ダイアン・シレント、イーディス・エヴァンス、ジョイス・レッドマン)が同時にノミネートされるという、アカデミー賞史上でも極めて珍しい記録を残しています。
サイレント映画のような早回し、画面の分割、ワイプによる場面転換、そして登場人物が突然カメラ目線で観客に話しかける「第四の壁」の破壊など、フランスのヌーヴェルヴァーグ(新しい波)にも通じる前衛的で遊び心あふれる演出は、世界中の観客を熱狂させました。
本記事では、この不朽の痛快コメディ『トム・ジョーンズの華麗な冒険』のあらすじや見どころ、伝説となった「食事のシーン」の秘密、そして若き日のアルバート・フィニーをはじめとする豪華キャストの魅力に至るまで、ネタバレを交えながら徹底的に深掘りして解説していきます。
笑いとエロスと反骨精神に満ちた、極上のエンターテインメントの世界へご案内しましょう。
予告編
詳細(徹底解説)
あらすじと世界観
物語の舞台は、18世紀のイギリス、サマセットシャーの豊かな田園地帯から始まります。
大地主であるオールワージー家のベッドで、ある日、見知らぬ赤ん坊が発見されます。
オールワージー氏はその捨て子を哀れみ、「トム・ジョーンズ」と名付けて、自身の妹ブリジットの息子であるブライフィルと共に、分け隔てなく大切に育て上げました。
月日は流れ、たくましい美青年に成長したトムは、勉学こそ苦手ですが、スポーツ万能で誰からも愛される天真爛漫な性格の持ち主となっていました。
しかし、最大の欠点は「女性にめっぽう弱い」ことであり、森番の娘モリーをはじめ、村の女性たちと次々に問題を起こしては騒動の種となっていました。
そんなトムの本当の想い人は、隣の領主ウェスタン氏の美しい一人娘、ソフィーでした。
ソフィーもまたトムの純粋な心に惹かれていましたが、身分違いの恋であることに加え、陰険で偽善者である従兄弟のブライフィルが、オールワージー家の財産とソフィーを独占しようと企んでいました。
ブライフィルの狡猾な罠と、トム自身の度重なる女遊びが原因で、トムはついに育ての親であるオールワージー氏から勘当され、屋敷を追放されてしまいます。
一文無しとなったトムは、大都会ロンドンを目指して旅に出ますが、行く先々で強盗に遭ったり、軍隊に巻き込まれたり、年上の貴婦人たちから誘惑されたりと、その冒険は波乱の連続です。
一方、望まないブライフィルとの結婚を強要されたソフィーも、トムを追って屋敷を逃げ出し、ロンドンへと向かいます。
ロンドンの華やかで退廃的な貴族社会の罠に嵌り、ついには絞首刑の危機にまで追いつめられてしまうトム。
果たして彼は絶体絶命のピンチを脱し、出生の秘密を明らかにして、愛するソフィーとのハッピーエンドを迎えることができるのでしょうか。
スリルと笑いが絶え間なく押し寄せる、最高に痛快な大活劇です。
特筆すべき見どころ:第四の壁の破壊と実験的映像マジック
本作を映画史における画期的な傑作たらしめているのは、トニー・リチャードソン監督が取り入れた「型破りな映像表現」の数々です。
冒頭から、サイレント映画時代のドタバタ喜劇(スラップスティック)を彷彿とさせる早回しの映像と、無声映画風の字幕カード(インタータイトル)が挿入され、観客を一気に非日常の世界へと引き込みます。
さらに驚かされるのは、主人公のトムをはじめとする登場人物たちが、スクリーンの中から突然カメラの方を向き、観客に向かって直接話しかけたり、ウインクをしたりする「第四の壁の破壊(メタ・フィクション的演出)」が頻繁に行われることです。
トムが女性の誘惑に負けそうになったとき、カメラに向かって「僕だって一人の弱い男なんだ、許してくれよ」と語りかけるような演出は、観客を単なる傍観者から「トムの共犯者」へと巻き込んでいく絶大な効果を生み出しました。
フリーズフレーム(ストップモーション)や、大胆な画面分割などを駆使したこのスピーディーな編集は、当時の重厚長大なハリウッドの歴史映画に対する痛烈なアンチテーゼであり、その後のコメディ映画やミュージックビデオに計り知れない影響を与えました。
伝説の「食事シーン」とユーモアに隠されたエロティシズム
『トム・ジョーンズの華麗な冒険』を語るうえで絶対に外せないのが、映画史に残る最も有名で、最も官能的と評される「食事のシーン」です。
旅の途中の宿屋で、トムと、彼が助け出した謎の年上女性ウォーターズ夫人(ジョイス・レッドマン)が向かい合って無言で食事をするだけのシーンなのですが、ここには映画的マジックが凝縮されています。
二人は、牡蠣やチキン、ローストビーフ、フルーツなどを、相手の目を見つめながら、指を舐め、汁を滴らせ、まるで互いを貪り食うかのように野性的に、そしてこの上なくエロティックに食べ進めていきます。
直接的なベッドシーンやヌード描写は一切ないにもかかわらず、食欲と性欲を完璧にリンクさせ、人間の抑えきれない欲望をユーモアたっぷりに表現したこの数分間のシークエンスは、世界中の映画ファンや批評家から大絶賛を浴びました。
厳格な検閲が存在した当時の映画界において、「直接描かずに、いかにして最高の官能を表現するか」という命題に対する、これ以上ないほど見事な大正解と言えるでしょう。
制作秘話・トリビア:フリー・シネマの監督が挑んだ一大娯楽作
本作の監督トニー・リチャードソンは、もともとイギリスの労働者階級の過酷な現実や若者の怒りをドキュメンタリータッチで描く「フリー・シネマ」運動(『蜜の味』『怒りを込めて振り返れ』など)の代表的作家として知られていました。
そんなシリアスな社会派監督が、突如として18世紀を舞台にした極彩色のドタバタ・セックス・コメディを撮ると発表した際、映画界の多くの人々は「血迷ったのではないか」と冷ややかな視線を送りました。
事実、製作費の調達は難航し、大手スタジオからは出資を断られ続けたという苦労の歴史があります。
しかし、完成した作品はイギリスのみならずアメリカでも爆発的な大ヒットを記録し、結果的にユナイテッド・アーティスツ社に莫大な利益をもたらしました。
リチャードソン監督は、18世紀の貴族社会の堕落や偽善を笑い飛ばすという形で、実は自身の根底にある「反体制・反権威」のパンクな精神を、極上のエンターテインメントのオブラートに包んで世界中に叩きつけたのです。
また、主人公のトム役には当初、ショーン・コネリーやリチャード・バートンといった錚々たるスターたちが候補に挙がっていましたが、最終的に当時まだ映画出演経験が少なかった舞台出身のアルバート・フィニーが大抜擢され、この一本で世界的な大スターへと躍り出ました。
キャストとキャラクター紹介
- トム・ジョーンズ:アルバート・フィニー(吹替:広川太一郎 など)
オールワージー家に捨て子として拾われ、愛情いっぱいに育てられた青年。
イケメンでスポーツ万能、そして誰に対しても分け隔てなく接する底抜けの善人ですが、女性の誘惑には秒速で負けてしまうという困った欠点を持っています。
アルバート・フィニーの野性的でありながらもどこか憎めない愛嬌のある笑顔が、トムというキャラクターの「無垢な不良」という魅力を完璧に体現しています。 - ソフィー・ウェスタン:スザンナ・ヨーク(吹替:武藤礼子 など)
トムの隣人である豪放磊落なウェスタン氏の美しい一人娘。
トムの数々の浮気に傷つきながらも、彼の根底にある優しさと純粋さを誰よりも深く理解し、愛し続けています。
スザンナ・ヨークの知的で可憐なルックスと、旧弊な結婚制度に反発して家出をする芯の強さが、物語の爽やかなヒロイン像を形作っています。 - ウェスタン氏:ヒュー・グリフィス(吹替:富田耕生 など)
ソフィーの父親であり、狩猟と酒をこよなく愛する豪快な田舎の領主。
トムのことは個人的に気に入っているものの、身分が低いため娘の結婚相手としては絶対に認めないという、典型的な当時の封建的な父親です。
名バイプレイヤーであるヒュー・グリフィスが、大声を張り上げて犬と共に駆け回る泥臭くも愛すべき親父を見事に演じ、映画に圧倒的なエネルギーを注入しています。 - ウォーターズ夫人(ジェニー・ジョーンズ):ジョイス・レッドマン(吹替:小原乃梨子 など)
旅の途中のトムが暴漢から助け出し、あの伝説的な「エロティックな食事シーン」を繰り広げる熟女。
実はトムの出生の秘密に深く関わる極めて重要な人物であり、物語の終盤で驚愕の事実をもたらすことになります。
ジョイス・レッドマンの妖艶でありながらもコミカルな演技は高く評価され、アカデミー助演女優賞にノミネートされました。 - ベラストン夫人:ジョーン・グリーンウッド(吹替:来宮良子 など)
ロンドンでトムをパトロンとして養う、裕福で狡猾な貴族の未亡人。
若いツバメであるトムを独占するために、ソフィーとの仲を裂こうと陰険な策略を巡らせます。
独特のハスキーボイスと気怠い色気を武器に、ロンドンの上流階級の腐敗と欲望を体現する強烈な悪女役を好演しています。
キャストの代表作品と経歴
アルバート・フィニー
イギリス労働者階級の日常を描いた「フリー・シネマ」の代表作『土曜の夜と日曜の朝』(1960年)で鬱屈した青年を演じて脚光を浴びた、イギリスを代表する名優です。
本作『トム・ジョーンズの華麗な冒険』の大成功により、ハリウッドからも引く手あまたの国際的なトップスターとなりました。
その後も、オードリー・ヘプバーンと共演した『いつも2人で』(1967年)や、アガサ・クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』(1974年)での名探偵エルキュール・ポアロ役など、多種多様な役柄を見事に演じ分けています。
晩年もジュリア・ロバーツと共演した『エリン・ブロコビッチ』(2000年)や、ダニエル・クレイグ主演の007シリーズ『スカイフォール』(2012年)で重厚な存在感を示し、生涯を通じて映画ファンから敬愛され続けたレジェンドです。
スザンナ・ヨーク
1960年代から70年代にかけて活躍したイギリス出身の知性派女優で、その透き通るような青い瞳とブロンドヘアで多くの観客を魅了しました。
本作での大役でブレイクした後、シドニー・ポラック監督の鬱屈した傑作『ひとりぼっちの青春(They Shoot Horses, Don’t They?)』(1969年)では、精神を病んでいく女優志願の女性を鬼気迫る演技で熱演し、アカデミー助演女優賞にノミネートされました。
また、リチャード・ドナー監督の『スーパーマン』(1978年)では、クリプトン星におけるスーパーマンの生みの母であるララ役を演じたことでも、広く一般の映画ファンに記憶されています。
まとめ(社会的評価と影響)
1963年公開の『トム・ジョーンズの華麗な冒険』は、単なるアカデミー賞受賞作という枠組みを超え、「映画の文法を若返らせた」という点で映画史において極めて重要なマイルストーン(道標)となっています。
本作の底抜けの明るさと、性をタブー視しない開放的なアプローチは、1960年代後半から巻き起こるヒッピー・ムーブメントや性の解放といったカウンター・カルチャーの空気を、見事に先取りしたものでした。
また、古典的な衣装劇(ピリオド・ドラマ)であっても、現代的でパンクな演出を取り入れることで全く新しいエンターテインメントに生まれ変わるという事実を証明した本作の功績は計り知れません。
近年大ヒットした、ヨルゴス・ランティモス監督の『女王陛下のお気に入り』(2018年)などのエッジの効いた歴史コメディ映画も、すべてはこの『トム・ジョーンズ』が切り拓いた自由な土壌の上に成り立っていると言えるでしょう。
堅苦しい道徳観念を笑い飛ばし、人間のありのままの欲望と優しさを肯定するトムの姿は、今の私たちが観ても無条件で元気をもらえるはずです。
映画の持つ「純粋な楽しさ」と「革新性」が奇跡的なバランスで同居した、すべての映画ファンが必見の歴史的・超一級エンターテインメントです。
作品関連商品
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ストップモーションや早回しといった細かい編集の妙技や、アルバート・フィニーの魅惑的なウインクを、ご家庭の高画質モニターで存分に堪能することができます。 - ジョン・アディソン『トム・ジョーンズの華麗な冒険』オリジナル・サウンドトラック
第36回アカデミー賞で作曲賞を受賞した本作の音楽は、クラシック音楽の重厚さと、ポップスのような軽快なリズムが見事に融合した傑作スコアです。
ハープシコード(チェンバロ)の軽快な音色が主人公トムのドタバタ劇を鮮やかに彩っており、映画の楽しさをそのままパッケージしたかのような素晴らしいサウンドトラックです。 - ヘンリー・フィールディング著『トム・ジョーンズ』(原作小説・翻訳版)
18世紀中葉に書かれたイギリス文学を代表する長編小説です。
映画版ではスピーディーに展開される物語も、原作では当時の社会風俗や道徳観に対する作者のシニカルな脱線話(エッセイ的な挿話)がふんだんに盛り込まれており、非常に読み応えがあります。
映画が原作のエッセンスをいかに巧みに、そして映像的に抽出したかを比較しながら読むことで、知的な興奮をより一層深めることができる必読の古典名作です。

