概要
1931年にRKO・ラジオ・ピクチャーズが製作・公開し、映画史に不滅の金字塔を打ち立てた叙事詩的西部劇映画『シマロン』(原題:Cimarron)。
本作は、1931年に開催された「第4回アカデミー賞」において、西部劇というジャンルとして史上初となる「最優秀作品賞」を獲得した歴史的な大傑作です。
その後、1990年の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が受賞するまでの約60年間、純粋な西部劇がアカデミー作品賞を受賞することはなく、本作がいかに当時のハリウッドで規格外の評価を受けていたかが伺えます。
原作は、『ショウボート』や『ジャイアンツ』など、広大なアメリカ開拓史と家族の年代記を描かせれば右に出る者のいないベストセラー作家、エドナ・ファーバーによる同名小説です。
監督のウェスリー・ラッグルズは、1889年に実際に起きたオクラホマの「ランドラッシュ(未開拓地の無料開放に伴う、入植者たちの猛烈な土地の奪い合い)」を皮切りに、そこから約40年にわたる新興都市の発展と、ある開拓者一家の波乱万丈な歩みを壮大なスケールで映像化しました。
主演を務めたのは、サイレント映画時代から威厳ある演技で人気を博していたリチャード・ディックスと、本作をきっかけにハリウッドのトップスターへと登り詰めることになるアイリーン・ダンです。
トーキー(発声)映画が産声を上げてからまだ間もない時期でありながら、当時の金額で約150万ドルという天文学的な巨費を投じて製作された本作は、数千人のエキストラを動員した圧倒的なスペクタクルと、開拓者精神(フロンティア・スピリット)の高揚感を観客に突きつけました。
この記事では、エンタメ情報サイト「tvtomovie.com」の視点から、映画『シマロン』のあらすじや驚異的な撮影技術、時代を先取りしていた女性の自立というテーマ、そして現代の評価に至るまでを徹底的に深掘りして解説していきます。
ハリウッド黄金期の幕開けを告げた、およそ1世紀前の奇跡の映像体験の裏側に迫りましょう。
予告編
詳細(徹底解説)
あらすじと世界観
物語の始まりは1889年、アメリカ政府がインディアン(先住民)から買い上げたオクラホマの広大な未開拓地を、一般の入植者に向けて無料で一斉開放する歴史的イベント「ランドラッシュ」の正午から幕を開けます。
弁護士であり、ガンマンであり、そして何より根っからの冒険家である主人公ヤンシー・クラバットは、美しい南部育ちの妻セイブラを連れて、この新たな土地での一攫千金を夢見て馬車を走らせます。
しかし、悪女ディキシー・リーの狡猾な罠によって目当ての土地を奪われてしまったヤンシーは、気を取り直して新興都市オーセージに定住し、新聞社「オクラホマ・ウィグワム」を立ち上げることを決意します。
当時のオーセージは、無法者や荒くれ者が我が物顔で闊歩する暴力と無秩序の街でしたが、ヤンシーは持ち前の正義感と早撃ちの銃の腕前、そして新聞という「言論の力」を武器にして、街の悪党たちを次々と退治し、市民から英雄として絶大な支持を集めていきます。
しかし、街に法と秩序がもたらされ、平和で退屈な文明社会が築き上げられていくにつれて、生粋の開拓者であるヤンシーの心には「まだ見ぬ荒野への渇望」が抑えきれないほどに湧き上がってきます。
ある日、彼はチェロキー・ストリップ(新たな未開拓地)の開放のニュースを聞きつけると、愛する妻と子供たちを残し、ふらりと街を飛び出してしまうのです。
本作の世界観の最大の特徴は、伝統的な西部劇の「ならず者を倒して平和をもたらす」というカタルシスを描く前半戦から、後半戦は「夫に置き去りにされた妻が、一人で新聞社を切り盛りし、街の発展とともに力強い実業家・政治家へと成長していく」という、大河ドラマ的な家族の年代記へと見事にシフトしていく点にあります。
「シマロン(スペイン語で『野生』や『逃亡奴隷』を意味する言葉)」というタイトルの通り、決して文明の枠に収まりきらない男の野性と、それに翻弄されながらも自立していく女のたくましさが、オクラホマの歴史と重なり合いながら描かれています。
シーズン/章ごとの展開
本作のストーリーラインは、オクラホマという土地の発展の歴史とリンクするように、数年単位で時代が飛躍していく明確な章立て(クロニクル構造)で展開されます。
第1幕は、1889年のランドラッシュの熱狂と、無法都市オーセージでのヤンシーの活躍を描く「西部劇アクション」のパートです。
悪徳ギャングのロン・ユンティスとの息を呑む銃撃戦や、かつての友であり今は無法者となった「キッド」との悲劇的な対決など、クラシックな西部のロマンがこれでもかと詰め込まれています。
第2幕では、時代が少し進み、ヤンシーの放浪癖が発動して家を空けるようになったことで、物語の焦点が完全に妻のセイブラへと移り変わる「女性の自立と闘い」のパートとなります。
夫の不在という困難の中、セイブラは持ち前の教養と負けん気で新聞社の経営を引き継ぎ、女性差別や街の偏見と戦いながら、立派な実業家としての地位を確立していきます。
この中盤では、インディアン(先住民)に対する白人社会の差別的な扱いについても触れられており、当初は偏見を持っていたセイブラが、次第に彼らの権利を認めていくという精神的な成長も描かれます。
そして第3幕のクライマックスは、1920年代後半のオクラホマが巨大な油田開発(オイルラッシュ)によって大都会へと変貌を遂げた時代です。
セイブラはついに女性初のオクラホマ州選出の下院議員にまで登り詰めますが、そこに、油田の採掘現場で労働者を救うために自らの命を投げ出した「名もなき老労働者」の知らせが届きます。
その男こそが、長く行方不明になっていた愛する夫ヤンシーであり、二人は最期の瞬間に奇跡の再会を果たし、彼は妻の腕の中で「シマロン(野生)」としての誇りを胸に静かに息を引き取ります。
特筆すべき見どころ
本作の最大の見どころであり、映画史に永遠に語り継がれる伝説のシークエンスが、冒頭で展開される「オクラホマ・ランドラッシュ」の超絶スペクタクル映像です。
未開拓地の境界線に並んだ何千台もの馬車や騎馬隊が、正午の合図とともに一斉に土煙を上げて地平線の彼方へと爆走していく光景は、CGが一切存在しない1931年当時の実写撮影としては常軌を逸したスケールを誇ります。
ウェスリー・ラッグルズ監督は、このわずか数分のシーンを撮影するためだけに、約5,000人のエキストラと数千頭の馬や幌馬車を動員し、広大な荒野にいくつものカメラピット(カメラマンが隠れるための穴)を掘って、あらゆる角度から被写体を捉えるという狂気的な撮影手法を敢行しました。
馬車が横転し、車輪が砕け散り、人々が土地の杭を打つために殺し合う生々しいアクションは、トーキー初期の重たい撮影機材の制約を全く感じさせない、圧倒的なダイナミズムに満ち溢れています。
また、物語の中盤以降でセイブラ役のアイリーン・ダンが見せる、見事な「老けメイク」と演技の変遷も見逃せません。
無邪気な新妻から、厳格な新聞社社長、そして威厳ある白髪の政治家へと、約40年間の時の流れを声色と姿勢の変化だけで完璧に表現しきった彼女のパフォーマンスは、本作が単なるアクション映画ではなく、優れた人間ドラマであることを強く証明しています。
制作秘話・トリビア
本作の製作費は約150万ドルという、当時(1929年の世界恐慌の直後)としてはRKOスタジオの存亡を懸けた社運プロジェクトとも言える途方もない金額でした。
公開されるや否や、観客はその圧倒的なスケールとアメリカの建国神話を体現した物語に熱狂し、各地の映画館で記録的な興行成績を叩き出しました。
第4回アカデミー賞では、最優秀作品賞に加えて、最優秀脚色賞、最優秀美術賞の3部門を獲得するという大成功を収めます。
しかし、歴史的な皮肉と言うべきか、映画自体は大ヒットしたにもかかわらず、製作費があまりにも巨額すぎたことと、世界恐慌によるチケット代の暴落が重なり、結果的にRKOスタジオに50万ドル以上の赤字をもたらすことになってしまったという有名な裏話があります。
また、本作におけるインディアン(先住民)や有色人種に対する描写は、現代のポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)の観点から見ると、非常にステレオタイプで差別的な表現が含まれているとして、後年になって厳しい批判に晒されることにもなりました。
しかし、ヤンシーがインディアンの権利を大声で擁護し、白人の不正を新聞で告発するシーンなどは、1931年当時のハリウッド映画としては驚くほどリベラルで進歩的なメッセージを含んでいたこともまた事実であり、時代の限界と先進性が複雑に混ざり合った歴史的資料としての価値も非常に高い作品です。
ちなみに、本作は1960年にアンソニー・マン監督、グレン・フォード主演でカラー映画としてリメイクされていますが、映画ファンや批評家の間では「白黒映画である1931年版のランドラッシュの迫力とエネルギーには到底及ばない」というのが定説となっています。
キャストとキャラクター紹介
- ヤンシー・クラバット:リチャード・ディックス
- 本作の主人公であり、弁護士、新聞編集長、そして凄腕のガンマンという多彩な顔を持つ魅力的な冒険家です。
- 正義感が強く、弱きを助け強きをくじく理想的なヒーローですが、その本質はひと所に留まることのできない「シマロン(野生)」そのものです。
- 街が平和になると途端に息苦しさを感じ、愛する家族を捨ててでも新しいフロンティア(未開拓地)を求めて放浪してしまうという、無責任ながらもどこか憎めないアメリカの開拓者精神を象徴するキャラクターです。
- セイブラ・クラバット:アイリーン・ダン
- ヤンシーの妻であり、南部の裕福な家庭で育ったお嬢様から、オクラホマの荒野でたくましい女性へと変貌を遂げる本作の実質的な真の主人公です。
- 夫に置き去りにされるという不遇な状況に直面しながらも、決して涙に暮れることなく新聞社の経営を引き継ぎ、社会的な成功を収めていきます。
- 初期のハリウッド映画において、これほどまでに自立し、政治家として男性社会と対等に渡り合う強い女性像が描かれたことは極めて画期的でした。
- ディキシー・リー:エステル・テイラー
- オーセージの街で娼館を経営する、いわゆる「堕ちた女」でありながら、誇り高く生きる女性です。
- ヤンシーとは古い顔なじみであり、ランドラッシュで彼の出し抜いて土地を奪うという狡猾さを見せますが、心の底では彼に密かな敬意と愛情を抱いています。
- 社会の底辺で生きる彼女と、上流階級のセイブラとの対比も、本作の重要な人間ドラマの要素となっています。
- キッド:ウィリアム・コリアー・Jr
- ヤンシーのかつての親友でありながら、荒野の厳しい掟に染まり、無慈悲な銀行強盗(無法者)へと堕ちてしまった青年です。
- 法の番人となったヤンシーとの間に繰り広げられる、友情と正義が交錯する悲劇的な対決シーンは、古典的な西部劇の哀愁を色濃く漂わせています。
キャストの代表作品と経歴
- リチャード・ディックス
- サイレント映画時代から数多くの大作で主演を務め、堂々たる体躯と威厳ある風貌で「アメリカの理想の男性像」を体現した国民的スターです。
- 本作のヤンシー役は彼のキャリアにおける最大の当たり役となり、大仰で芝居がかった独特のセリフ回しは、初期トーキー映画におけるクラシックな名演として高く評価され、第4回アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされました。
- アイリーン・ダン
- もともとはブロードウェイで活躍するミュージカル女優でしたが、本作のセイブラ役で映画界において鮮烈なブレイクを果たし、以降ハリウッドのトップ女優として君臨しました。
- 気品とユーモアを兼ね備えた演技に定評があり、『新婚道中記』や『ママの想い出』など、コメディからメロドラマまで幅広いジャンルでアカデミー賞に計5回もノミネートされた、真の実力派レジェンド女優です。
まとめ(社会的評価と影響)
映画『シマロン』(1931年版)は、西部劇というジャンルが単なる「B級アクション」の枠を超え、アメリカ合衆国の建国の歴史や社会的変化を描く「一流の芸術作品(大河ドラマ)」としてアカデミー賞に認められた、歴史的なマイルストーンです。
本作が描いた「ランドラッシュ」の圧倒的な映像スペクタクルは、その後のハリウッドにおける大作映画のスケール感の基準を大幅に引き上げました。
また、物語の後半で展開される「女性の自立と社会進出」というテーマは、1930年代のフェミニズムの萌芽を色濃く反映しており、男性主人公(ヤンシー)のヒロイズムを否定するかのように、残された女性(セイブラ)こそが真の社会の建設者であると提示した脚本の先進性には、現代の批評家からも驚きの声が上がっています。
もちろん、現代の価値観から見れば、時代特有の差別的な表現や、大味でテンポの遅い演出など、受け入れがたい部分や古臭さを感じる部分があることは否めません。
しかし、映画というメディアが「国家の神話」をいかにして映像化し、大衆を熱狂させてきたのかというハリウッドの源流を知る上で、本作は絶対に避けては通れない重要文化財です。
アメリカ開拓史の土埃と、映画製作者たちの底知れぬ野心がフィルムの隅々にまで焼き付けられたこの巨大な叙事詩を、映画史を愛するすべての人にぜひ一度は目撃していただきたいと思います。
作品関連商品
- 『シマロン』(1931) DVD(ワーナー・アーカイブ・コレクションなど)
- 映画史の基礎教養として手元に置いておきたい、第4回アカデミー作品賞受賞作の本編ディスクです。
- 序盤のランドラッシュの迫力ある映像を、デジタルリマスターされた鮮明なモノクロ映像で確認することができます。また、初期のトーキー映画特有の録音の荒々しさも、時代の空気を感じる貴重な体験となります。
- エドナ・ファーバー著『シマロン』(翻訳本など)
- アメリカの国民的作家エドナ・ファーバーによって書かれた、映画の原作となるベストセラー小説です。
- 映画では尺の都合で駆け足になってしまった40年という年月の細やかな心理描写や、オクラホマという土地に対する作者の深い愛着が活字でびっしりと表現されており、映画と合わせて読むことで物語の解像度が何倍にも高まります。
- 映画『シマロン』(1960年 リメイク版) DVD
- アンソニー・マン監督、グレン・フォード主演によって、シネマスコープの豪華な総天然色(カラー)で製作されたリメイク版です。
- 1931年版の白黒の泥臭いスペクタクルと比較して鑑賞することで、1960年代のハリウッドが「西部劇」というジャンルをどのように洗練させ、あるいはマイルドに変化させていったのかという、映画表現の歴史的変遷を学ぶことができる絶好のテキストとなります。

