概要
ジュール・ヴェルヌの古典的冒険小説を原作とし、映画史に残る圧倒的なスケールと豪華絢爛なキャスティングで世界中を熱狂させた超大作が、1956年公開の映画『80日間世界一周』 (Around the World in 80 Days) です。
本作は、ブロードウェイの伝説的プロデューサーであるマイケル・トッド(マイク・トッド)が、その莫大な財力と執念を注ぎ込んで完成させた生涯唯一のプロデュース映画として知られています。
監督はマイケル・アンダーソンが務め、当時の最先端技術であった70ミリの広角撮影システム「トッド-AO方式」を駆使して撮影されました。
この画期的な撮影技術により、観客はまるで自分自身が気球に乗り、世界中を旅しているかのような圧倒的な臨場感と没入感を味わうことができたのです。
本作の魅力は、美しい異国の風景や息を呑むような大自然の映像美だけにとどまりません。
フランク・シナトラ、バスター・キートン、マレーネ・ディートリヒ、ジョン・ウェインといった、当時のハリウッドを代表する超大物スターたちが、ほんの数秒の「チョイ役」で次々と画面に登場するという前代未聞の演出が行われました。
現在私たちが日常的に使っている「カメオ出演」という言葉は、本作がきっかけで広く一般に定着したと言われています。
第29回アカデミー賞においては、そのエンターテインメント性の高さが絶賛され、作品賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、劇映画音楽賞の計5部門を見事に制覇するという歴史的快挙を成し遂げました。
半世紀以上が経過した現在でも、CGが一切存在しなかった時代における「究極の映像スペクタクル」として高く評価され続けています。
本記事では、この不朽の名作『80日間世界一周』がなぜこれほどまでに映画史において特別視されているのか、そのあらすじや見どころ、豪華キャストの魅力から驚きの制作裏話に至るまで、徹底的に深掘りして解説していきます。
まだ海外旅行が夢物語だった時代の、ロマンあふれる大冒険の世界へご案内しましょう。
予告編
詳細(徹底解説)
あらすじと世界観
物語の舞台は、1872年のイギリス・ロンドン。
几帳面で時間に正確無比な英国紳士フィリアス・フォッグは、所属するリフォーム・クラブ(改革クラブ)での会話をきっかけに、ある途方もない賭けをすることになります。
それは、「新しい交通機関である蒸気船や鉄道を使えば、80日間で世界を一周することができる」という持論を証明するため、彼自身の全財産である2万ポンドを賭けるというものでした。
フォッグは、雇ったばかりの陽気で機転の利くフランス人従者パスパルトゥーを引き連れ、すぐさま世界一周の壮大な旅へと出発します。
彼らはロンドンからパリへと渡り、スペインを経由してスエズ運河、インド、香港、日本、そしてアメリカ大陸へと、文字通り世界を股にかけた大移動を繰り広げます。
しかし、その道中は決して平坦なものではありませんでした。
インドのジャングルでは鉄道が未完成で象に乗って移動を強いられ、現地で生贄にされそうになっていた美しい未亡人アウダ姫を救出するという予期せぬ冒険に巻き込まれます。
さらに、銀行強盗の容疑者としてフォッグを追跡する執念深いロンドン警視庁のフィックス刑事が、行く先々で彼らの旅を妨害しようと暗躍します。
交通機関の遅延、インディアンの襲撃、自然の猛威、そしてフィックス刑事の執拗な追跡という数々の困難を乗り越えながら、彼らは刻一刻と迫るタイムリミットと闘い続けます。
果たしてフォッグは、約束の80日目の午後8時45分までにロンドンのクラブへと帰還し、賭けに勝つことができるのでしょうか。
タイムサスペンスの緊張感と、未知の世界を旅するワクワク感が絶妙にブレンドされた、最高のエンターテインメント作品です。
特筆すべき見どころ:世界各国のロケと圧倒的な映像美
本作の最大の見どころは、何と言っても実際に世界各国で敢行された大規模なロケーション撮影と、それをスクリーンに映し出すトッド-AO方式による圧倒的な映像美です。
スペインの闘牛場での熱狂、インドのジャングルの鬱蒼とした神秘、アメリカ西部の雄大な荒野など、それぞれの国の文化や風俗が、当時の観客にとっては息を呑むような驚きとともにお披露目されました。
特に日本でのロケシーンは、当時の海外から見た「神秘的な東洋の国」というステレオタイプな視点も含まれつつ、横浜の港や鎌倉の大仏、そして平安神宮などの美しい風景が色鮮やかな70ミリフィルムに収められており、日本人にとっても非常に興味深い映像記録となっています。
また、映画の前半でフォッグとパスパルトゥーがアルプス山脈を越えるために熱気球「ラ・コクエット号」に乗り込むシーンは、実はジュール・ヴェルヌの原作小説には存在しない、映画オリジナルの展開です。
しかし、雪を頂いた雄大なアルプスの山々を眼下に気球が優雅に飛ぶこのシークエンスはあまりにも美しく象徴的であり、その後の本作のポスターやイメージビジュアルにおいて「80日間世界一周といえば気球」というイメージを世界中に決定づけることになりました。
制作秘話・トリビア:「カメオ出演」の元祖とマイク・トッドの執念
本作を語るうえで絶対に外せないのが、映画史に燦然と輝く「カメオ出演(ゲスト出演)」の豪華さです。
プロデューサーのマイク・トッドは、自身の広い人脈をフルに活用し、約50人もの世界的な大スターたちを「ほんの数秒から数分のチョイ役」として出演させることに成功しました。
例えば、パリの酒場ではマレーネ・ディートリヒとフランク・シナトラが顔を見せ、サンフランシスコの酒場ではジョージ・ラフトがコイン遊びをしており、列車の車掌役をバスター・キートンが演じています。
さらにはジョン・ウェインやピーター・ローレ、シャルル・ボワイエといった錚々たる顔ぶれが、セリフすらないような役柄で次々と登場するのです。
観客はスクリーンから目を離すことができず、「次は誰が出てくるのか」という宝探しのような楽しさを提供しました。
この斬新なキャスティング手法は「カメオ(Cameo)」と呼ばれ、本作が大ヒットしたことでこの言葉が映画界の専門用語から一般的な用語へと定着したと言われています。
また、プロデューサーのトッドはこの作品に並々ならぬ執念を燃やしており、製作費が底をつきかけた際には自らの財産を全て抵当に入れてまで完成にこぎ着けました。
彼のギャンブラーのような生き様は、まさに主人公フィリアス・フォッグそのものであり、映画の成功によって彼は莫大な富と名声を手にしましたが、皮肉なことにそのわずか2年後、飛行機事故により悲劇的な最期を遂げています。
ヴィクター・ヤングによる不滅の映画音楽
本作の雄大でロマンティックな世界観を完璧に彩っているのが、名作曲家ヴィクター・ヤングによる素晴らしい劇中音楽です。
メインテーマ曲である「80日間世界一周(Around the World)」は、優雅なワルツのメロディが旅の始まりを美しく告げる名曲として、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。
ヤングはこの作品でアカデミー賞の劇映画音楽賞を受賞しましたが、授賞式を待たずして亡くなっており、本作が彼にとっての遺作であり最大の実績となりました。
世界各国のエピソードに合わせて、現地の民族音楽や伝統的な楽器の音色が巧みに織り交ぜられており、目まぐるしく変わる舞台の情景を音楽の面からも強力にサポートしています。
キャストとキャラクター紹介
- フィリアス・フォッグ:デヴィッド・ニーヴン(吹替:中村正 など)
ロンドンの改革クラブに所属する、時間と規則を何よりも重んじる典型的な英国紳士。
常に冷静沈着で感情を表に出しませんが、トラブルに巻き込まれた際には驚くべき機転と行動力を発揮し、弱者を助ける騎士道精神も持ち合わせています。
デヴィッド・ニーヴンの洗練された身のこなしとユーモアは、まさに「フォッグ氏」そのものであり、彼のキャリアにおける最大の当たり役となりました。 - パスパルトゥー:カンティンフラス(吹替:内海賢二 など)
フォッグに雇われたばかりの、陽気でお調子者のフランス人従者。
生真面目な主人とは対照的に、行く先々で女性の尻を追いかけたりトラブルを引き起こしたりしますが、持ち前の運動神経と機転で幾度となくフォッグのピンチを救います。
メキシコを代表する大スターでありコメディアンであるカンティンフラスが、そのアクロバティックな身体能力でスペインの闘牛シーンなどをスタントなしで見事に演じ切りました。 - アウダ姫:シャーリー・マクレーン(吹替:小原乃梨子 など)
インドで現地の風習により生贄として火あぶりにされそうになっていたところを、フォッグとパスパルトゥーに救出された美しい未亡人。
命の恩人であるフォッグに深い愛情と尊敬を抱き、危険を顧みず最後まで彼らの旅に同行します。
当時まだ新人女優だったシャーリー・マクレーンが、東洋のミステリアスな雰囲気と気品を漂わせ、物語に華やかなロマンスを添えています。 - フィックス刑事:ロバート・ニュートン(吹替:雨森雅司 など)
ロンドンのイングランド銀行から大金を奪った強盗犯がフォッグであると疑い、執拗に彼の後を追い続けるロンドン警視庁の刑事。
フォッグを逮捕するためにあの手この手で旅を妨害しようとしますが、そのたびにパスパルトゥーの機転に阻まれたり、不運に見舞われたりするコミカルな悪役です。
ロバート・ニュートンの大仰な演技が、作品に絶妙なコメディリリーフとしてのスパイスを与えています。
キャストの代表作品と経歴
デヴィッド・ニーヴン
イギリス・ロンドン出身の俳優で、その気品あふれる風貌と洗練されたユーモアで、「ハリウッドにおける最も完璧な英国紳士」と称された名優です。
『嵐が丘』(1939年)などで助演として存在感を示した後、第二次世界大戦での軍役を経てハリウッドに復帰しました。
本作『80日間世界一周』(1956年)での大成功により世界的なスターとなり、1958年の映画『旅路』では見事アカデミー主演男優賞を受賞しています。
後年は『ピンク・パンサー』シリーズ(1963年〜)での怪盗ファントム役や、007のパロディ映画『カジノ・ロワイヤル』(1967年)でジェームズ・ボンドを演じるなど、コメディやアクション作品でもその軽妙な魅力を遺憾なく発揮しました。
シャーリー・マクレーン
アルフレッド・ヒッチコック監督の『ハリーの災難』(1955年)で映画デビューを飾り、本作『80日間世界一周』への抜擢で一躍ハリウッドのトップスターの仲間入りを果たした名女優です。
ビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』(1960年)や『あなただけ今晩は』(1963年)で、少し抜けているけれど愛らしいヒロインを魅力たっぷりに演じ、絶大な人気を誇りました。
優れたダンサーでもあり、ミュージカル映画『スイート・チャリティー』(1969年)でも素晴らしいパフォーマンスを披露しています。
1983年の名作『愛と追憶の日々』では、気丈な母親役を熱演し、念願のアカデミー主演女優賞を獲得しました。
弟のウォーレン・ベイティとともに、現在に至るまでハリウッドの歴史を体現し続けている生きた伝説です。
まとめ(社会的評価と影響)
映画『80日間世界一周』は、単なる冒険活劇という枠組みを軽々と飛び越え、当時の観客に「映画館という座席に座りながら世界中を旅する」という、まさに魔法のような体験を提供した歴史的記念碑です。
CGによる合成やVFXが当たり前となった現代の目で見ても、数万人のエキストラを動員し、本物の風景のなかで俳優たちが演技をする圧倒的なスケール感は、決して色褪せることがありません。
第29回アカデミー賞での作品賞受賞は、この「映画でしか表現できない巨大なスペクタクル」がいかに高く評価されたかを物語っています。
また、本作が大成功を収めたことで、その後のハリウッドでは『アラビアのロレンス』や『ベン・ハー』といった、70ミリフィルムによる長尺の「大作主義」時代が本格的に幕を開けることになります。
「不可能を可能にする」という人間の飽くなき探究心と、困難を笑い飛ばすユーモア、そして国境を越えた友情と愛。
半世紀以上経った今観ても、そのエンターテインメントとしての純度の高さと、画面から溢れ出す圧倒的なエネルギーに、誰もが胸を躍らせずにはいられない永遠のマスターピースです。
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アカデミー劇映画音楽賞を受賞した、映画音楽史に残る大名盤です。
優雅なメインテーマ曲はもちろんのこと、劇中の各エピソードに合わせて展開される多彩な民族音楽のアレンジは、聴いているだけでワクワクするような世界旅行へと誘ってくれます。 - ジュール・ヴェルヌ著『八十日間世界一周』(原作小説)
SFの父と呼ばれるジュール・ヴェルヌが1873年に発表した原作小説です。
映画版では追加された気球のシーンや、アレンジされたキャラクターの性格など、原作と映画の違いを比較しながら読むことで、この物語が持つ時代背景やテーマの深さをより立体的に理解することができます。
